mommapapaの父の言の葉

日本語と暮らしと子育て雑記

先斗町 St. James Club

f:id:mommapapa:20180718003102j:plain

 京都先斗町歌舞練場の鴨川護岸が大水で一部崩壊している映像を、本日遅まきながら目にしました。

先斗町は本当に好きな場所です。

いや、好きでしたという方が正しいのかもしれません。20年前と比較して、明らかに街並みが大衆化していると感じるからです。

そして歌舞練場の近くには、かつて好きだったバー、St. James Clubが存在していました。

初めてこの空間に足を踏み入れたのは大学生の終わりの頃だったか、就職してすぐだったのか、今では忘れてしまいましたが、確か一人飛び込みで入ったのだと記憶しています。

いつ訪れても、注意深く意識していても、何度も店の前を通り過ぎてしまうほど、さりげない町屋の入り口から真っすぐに伸びる階段を上った先に、その空間は訪れます。

漆黒の闇と、琥珀色に浮かび上がるカウンター越しの障子の明かりが、それまで経験したことのない緊張した非日常の世界への到来を訪れるものに語りかける、そんな圧倒的な空間です。

わずか六畳ほどの広さでしょうか、カウンターに数名、テーブルに数名のタイトな空間には、その当時、その緊張した空間にふさわしい、寡黙なバーテンが一人、佇んでいました。

何を質問してもほとんど語ることのないその彼は、注文に黙って頷き、ピックで丸く削り出した氷をグラスに入れ、そして静かにバーボンを注ぐ。

琥珀色の液体が、荒くざらついた球体の割れ目にしみこむキュッという音が耳に届くと感じたその刹那。静寂とは何かを今初めて気づかされるような、そんな時間と空間。

年に何回か、訪れることが好きだったあの空間。

先斗町の懐かしい街並みとともに、あの空間もどこかに消えてしまった。

数年前、久しぶりに訪れた場所には、あのバーテンも、漆黒の闇も、そして静寂もどこかに消えてしまっていた。

喪失感。

そんな言葉がふさわしい状況があるとするならば、それは好きだったあの店が、確かに失われてしまったことを悟った心の戸惑いではないだろうか。

現在も確かにあるはずのその店の、現在ではもう取り戻すことができない、あの圧倒的な存在への憧れ。

そんな青春の想い出のような、切ない気持ちを思い起こさせる場所。

息子が二十歳になったのであれば、一緒に京都に出かけることがあれば、また別の何かがそこにあることを求めて、あの二階への階段を、静かに上がってみようかしら。