mommapapaの父の言の葉

日本語と暮らしと子育て雑記

情報生産者とGoogle

 丸善で早矢仕ライスを食べた帰り際、何か面白そうな本はないかと歩いていたら、上野千鶴子著『情報生産者になる』という本が大々的に並べてあった。

ブログを書く身からすると少し興味があったので手に取ってみると、新書とは思えない厚さに驚いたのだが、目次をぺらぺらめくって読むのを止めた。

本を読む以前に、自分自身が既に社会に対して情報を生産している側にいると感じたからだ。

私は『日比谷高校を志す君に贈る父の言葉』というメインブログを2年ほど続けているのだが、このブログはテーマが非常に限定的である中で、一個人が運営しているメディアとしては、多くの方に真面目に読まれているのではないかと感じている。

何よりはっきりと感じることは、「Googleに好かれている」ということだ。

当たり前のことかもしれないが、記事のアップをGoogleに伝えれば、次の瞬間にはもう検索対象となっているのが常だし、特に『日比谷高校』というキーワードにはめっぽう強い。日経新聞のような大手メディアの提供する記事よりも確かに強い。


 googleに評価されることは、情報生産者にとっては欠くべからざる資質である。

世の情報生産者は、発信する情報の内容よりも、むしろGoogleの評価を気にしている方が多いのではないかとさえ感じることがあるくらいだ。初めはそうでなくても、気づかない内にそうなってしまっている、ということもあるだろう。

なぜ皆が彼らの評価を気にするのか?

それはウェブ上では、彼らに評価されなければそのサイトや記事は、人目に触れない。つまり存在しないのと同じだからである。

「彼思う、故に我あり」である。

だから世の中には、Googleの検索エンジンに如何にして好かれるか、というテーマを論じた書籍や記事が溢れている。

ただしその内容は、検索エンジンに認められるために、真面目に汗水たらして働こうという姿勢のものよりは、他よりも目立つ技術なり、彼らを錯覚させる技術なりをうたっているものが多いかもしれない。

シュートを決めるよりも、演技でペナルティキックを獲得しようとする作戦である。

何故そのようなことが行われるのかというと、結局のところ、お金になるからだろう。

彼らに評価されることは、ビジネスであれば売り上げにつながるし、個人であれば広告収入を期待できる。お金にならなければ、大衆の冷ややかな目にされられながら、芝生の上でゴロゴロ転がる必要はないのである。

だから皆、必死でGoogleに好かれようとする。

よく出来ましたとママに褒められたいのだ。

ウェブマーケティングやウェブ戦略も、結局はママのお気に入りになることが、第一歩である。

日比父ブログは営利目的ではないために、ママへの上目遣いとはほとんど無関係である。しかしだからか、だからなのか、確かにママから好かれている。

そこが世の中の皮肉である。

求める者が熱望する程には好かれず、求めざる者が徒に好かれる。

だからGoogleの検索エンジンは、ママではなく気まぐれで小悪魔的な女性だと結論付けたら、女性に対する偏見だと言って非難されるだろうか。

このGoogleに好かれているか好かれていないか、という現代の重要命題は、情報生産者になろうとしなければ本当には分かり得ない種類のものである。

恋とはどんなものかしら、である。